戦前から戦後にかけて、キノコ類の研究を続け、「キノコ研究の権威」として尊敬された岩出亥之助博士。生涯をキノコの研究と啓蒙にささげた岩出博士の軌跡をご紹介します。
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岩出亥之助博士の軌跡

岩出 亥之助(いわで いのすけ)略歴

明治32年 三重県久居市に生まれる。
東京帝国大学文部教官、三重大学農学部教授を経て、
岩出菌学研究所所長へ。
農学博士

主要著書
   ・キノコ栽培利用法
   ・理論活用・椎茸栽培法
   ・キノコ類の栽培法    その他

岩出亥之助博士

手始めはシイタケ

岩出博士は、前東大農学部(当時は駒場)森林化学研究室(元の林産製造学)で最初の木材化学の研究に従事し、木材の化学分析法を完成しました。
 その手始めにシイタケ榾木の1〜3年生の分析を行ない、シイタケ菌の木材組成分(セルロース、リグニン、ペントーザン、メチールペントーザン、タンニン、アルコール+ベンゼン抽出物など)分解の経路を追究しました。
大正15年  前東大農学部で旧官舎を利用し、シャピニオン(マッシュルーム)の種菌をフランスから取り寄せ、獣医学科の馬糞を利用して試作を行ない見事発生させました。
 当時としては珍しく、新宿御苑のみで栽培されているとのことでした。
昭和元年  シイタケは榾木でなくとも代用物で栽培できるのではないかと考え、まず落ち葉に目をつけこれを瓶に詰め、殺菌後シイタケ菌を接種したところ、シイタケ発生に成功しました。
昭和2〜3年  昭和元年の発表にヒントを得て種々研究の結果、オガクズに米糠を加えて瓶栽培を試みたところシイタケ、エノキタケ、ヒラタケ、ナメコの栽培に成功しました。
 これが今日の瓶栽培の基礎となりました。

キノコの道へ

 岩出博士は、将来研究者として木材化学を続けるべきか、菌類の研究に専念すべきかに迫られましたが、将来キノコは農山村の副業として必ず役立つという信念からキノコの道に進むことを決意しました。しかし、植物学的研究ではなく化学的研究でした。
 当時女学校家事教科書を見ても、キノコは栄養分も少なく消化も悪いと書いてありました。キノコの栽培にしても今後は栽培法を改良し、種菌接種と科学的な養分を主として考えねばなりませんが、内外共に研究者がいません。博士は、この未知の世界に飛び込む事に大きな勇気が湧いてきたのです。

昭和3年  北多摩郡砧村(現在の世田谷区砧6丁目)に住居を移転。
 当時、この地域は山野あり田畑ありの農村で、松の幼齢林があり、マツタケの栽培試験に適当であると考えられ、付近には種々のキノコが発生しているのを見て興味を引かれ、この地に住居を移すことにしたのです。

キノコ行脚は北海道から

 キノコの科学的研究をするには、まずキノコそのものを知る必要があります。幸いにして大学には各地に演習林があります。北海道、樺太、朝鮮、台湾、本州には千葉、瀬戸、秩父、伊豆等とキノコの採取、分布状態を調べるためには地域的にも恵まれていました。

昭和8年  北海道演習林(山部)に踏み入りました。
 驚いた事に全くの原始林で、内部は数十年前の倒木や切株があり、地上に落葉はあるが雑草は少なくまさにキノコの宝庫でした。
 足の踏み場もないほど種々のキノコが発生している広大な演習林を毎日3人の所員の案内で林内の作業所を泊まり歩きました。
 しかし、熊の現れる所が多く、これを追い払うため空鐘を打鳴らしながら歩かねばならなかったのです。かくして1ヶ月あまり新種や珍種の発見もしましたが、分析試験用として多種のキノコを採集することができました。
昭和9年  樺太に出張しました。
 山が険しく道もなく、谷川の岸辺は1m以上にのびた蕗の中をかきわけかきわけ歩く以外仕方がありません。
 谷川には鱒がたくさんのぼるのがみられますが、熊がこれを目当てに出現するので油断はできませんでした。
昭和10年  3回目は朝鮮へ出張しました。
 急な山が多くマムシの出現が度々で危険な所です。人夫2人を連れて山を越え、谷を渡って山村の面長(村長)の家に泊まる事がありましたが、便所のないことと蝿の多いのには閉口しました。
昭和11年  この年も朝鮮へ出張しました。
 新義州、金剛山等各地を回って帰途チフスに感染したことを知らずに帰国。 誤診もあって手遅れとなり、9月15日東大病院に入院。40度の高熱が56日間続き、3回死線を越えて12月30日ようやく退院できました。
昭和15年  台湾に出張しました。
 新高山に登り八通関付近でマツタケを発見しました。また、竹山郡の竹林に足を踏み入れると方向もわからないほどの大竹林。倒れた竹にはキクラゲが群生し、林内には乾燥室もありました。
 台湾は熱帯林から寒帯林相を形成し、阿里山付近ではシイタケの栽培も行なわれていました。
 キノコの種類はあまり多くなかったのですが、新種を一種採集して帰りました。

キノコの組成分抽出

 各地で集めたキノコを分析しその組成分、栄養価、消化率等を調べてキノコの栄養価が高いことを証明し、従来の誤った認識を改めました。
 一般組成分の分析と同時に、キノコの特殊成分の研究にも着手しました。

昭和13年  岩出博士は木材化学を専攻した経験から、アルコール、ベンゼン混液を使用し、これにマツタケを粉砕したものに加えて振盪して香気成分を抽出し、分溜精製して各溜分の元素分析、構造式を決定し人工的に化学合成を行いましたが、これには大変苦労しました。
  主成分「マツタケオール」は岩出博士が命名
したもので世界に認められました。
 この研究が実り昭和13年4月10日、キノコの特殊成分の研究および発明について日本林学会奨学賞と白澤賞を受けました。この化学的研究は林学としても最初の科学的業績でありました。
昭和23年  さらにシイタケの香気成分抽出にかかりましたが、この時代はほとんど研究はできませんでした。戦前は戦時保健食班の一員として、さらには電柱防腐に協力し、特に松根油乾溜指導のため全国を歩き回り、山梨県に出張時終戦の日を迎えました。
 戦後は薬品がなく実験もできませんでしたが、PXを通じアメリカより薬品の送付を受け、ようやくシイタケの香気成分抽出を完成しました。

岩出菌学研究所の設立

 岩出菌学研究所の設立後は、応用面の研究と共に県内はもちろん愛知、岐阜、静岡を始め北海道、九州、四国など各地に出張。シイタケ、ヒラタケの短木栽培の講習会、現地指導に当たりました。
 所内でも度々講習会を開催し、農山村の福利増進に寄与しました。この頃、在ブラジルのマッシュルーム栽培家、古本氏からハラタケ属のキノコが届き、研究の結果、栽培法を完成し市場出荷するに至りました。
(詳しいお話は姫マツタケ誕生秘話をご覧ください)

 一方、三重大学のガン研究グループの動物試験により抗ガン作用の顕著な事が発見され姫マツタケ(アガリクス ブラゼイ ムリル)が一躍頭角を現し、食用としても保健食としても有名になったことは全く天与の恵と感謝しています。(詳しくは姫マツタケについてをご覧下さい。)
昭和25年  三重大学農学部林学科・林産化学の講座を担当することになりました。学生実験台、実験道具一切を設備する必要がありましたので苦労しました。演習林は天然林でシデ材がたくさんあり、これを利用して学生の実習を兼ねシイタケ栽培を行いました。
 講座は林産製造、木材化学でしたが初めて森林菌学を開講しました。化学に基礎をおいた菌学であり、農芸化学の学生も多数聴講しました。
昭和37年  大学を定年退官いたしました。
昭和38年  過去40年間の研究と体験を生かすことが責任であり義務であると自責して、研究と指導を目的として菌学研究所を設立することを決意し、本館及び工場を建設し、岩出菌学研究所を設立しました。
 
※「奇跡の姫マツタケ」より抜粋
 
 
 
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